お知らせ
- 2008/09/20(土) 23:49:22
前々から少し悩んでいたんですが、移転することにしました。
以後もよろしくお願いします。
http://d.hatena.ne.jp/kuricree/
『熊を放つ』
- 2008/09/16(火) 22:38:59
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青春って何だろう。わかるようで、よくわからない。年齢的な規定はひとまず除くとすると、そこには何が残るのだろうか。
未熟で混乱した生のひと時? 奔放で溢れ出さんばかりの生命力の躍動? 曖昧で伝わらない感情の衝突? 将来への茫漠たる不安? 今を生きることへの葛藤? はたまた苦悩?
やっぱりよくわからない。でも。
この小説が紛れも無い青春小説だということだけは確かだと思う。
本作『熊を放つ』は、現代アメリカの作家、ジョン・アーヴィングの処女長編。アーヴィングは『ガープの世界』が特に知られています。こちらは未読ですが...
しかし、これは語ることの難しい小説だと思います(自分にとって多くの小説が語りづらいことは否定できないのですが)。
本作は三部からなり、一部と三部が時間的に繋がり、二部はジークフリート・ヤヴォトニクの日記および自伝が交錯する形になっております。
このジークフリート・ヤヴォトニク("ジギー")は、『路上』におけるディーン・モリアーティに近い存在だといえるでしょう。
主人公("グラフ")と共に旅をし、その奔放さから彼を振り回し、幾多のトラブルへと巻き込んでいく。しかし、逆説的にいえば、彼がいなければ物語がそもそも成り立たない。言いようによれば、こちらの方が主人公なのかもしれませんね。
第一部は彼らの出会い、「動物園」でのひと時、そしてグラフにとって重要な存在となる娘「ガレン」との邂逅と、目まぐるしい展開が続きます。そこでジギーが問題を(当然のように)起こし、物語はあっと息を飲む局面を迎えると同時に第二部に突入していきます。
突入、といっても、第二部は第一部とは完全に主題が変わりますので、思いっきり横道にそれる感じと言った方が適切でしょう。この第二部に関しては、少々冗長かな、と思う部分も多いのですが、それら全てが最終的に第三部で実に効いてきます。アーヴィングは実に抜け目ない作家だ。
ここでのジギーの自伝は、彼の母親を機軸として第二次世界大戦におけるオーストリアの人々の姿を描いています。これも実に奇想天外の展開が続き、勢いとしては第一部とそれほど変わりないといえるでしょう。ただ、途中で機軸が移動するのと、登場人物の名前が多く、政治用語もいくつか出てくるために、少し読みづらい印象を覚えました。まぁ、これをジギーが書いたと思えばそこは我慢できるかなと・・・。
そして、日記の方はジギーの動物園侵入の報告が記されています。最初は一見、別々に独立しているような印象を受ける両者は次第に奇妙な繋がりを持ちます(かといって、それはそこまで重要なわけではないのだけど)。
そして、第三部。これは文句なしに素晴らしい。
何よりもグラフの揺れ動く心情の描写が胸を打つ。彼は狂人のように、至るところで幻想を見ます。はたして彼は狂ってしまったのだろうか? 自分はそうは思わない。彼は彼なりに精一杯自分自身を保ち、世間に対して、そしてジギーに対して抵抗しようとしたのではないだろうか?
そして、終局へと一気に向かう物語。放たれる熊、熊、熊。
ここは、『カラマーゾフの兄弟』の後半部分を読んだ時と同じように、文章に物語に目まぐるしい展開に引き込まれた。
ラストシーンも本当に素晴らしい。バイク嫌いな自分が、始めてバイクに興味をもちました。んー、今読み返しても胸が熱くなる。
では最後に自分の好きな一文を引用して今回はお開きとします。
そう、僕の親父は輝かしくもメロドラマティックな、誰にも真似できないいたずらをする小鬼だった。僕もそうだし、君だって同じだよ、グラフ。だからこの世界にだってまだ救いはあるさ。死ぬほど退屈な仕事仕事ですべてが埋めつくされているというわけではないのだ。
でも邪魔が入っちまった! 脱線だ。世間が君を捉えるたびに、君は少しずつ死んでいくんだぜ。――<上>p161
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『鍵のかかった部屋』
- 2008/09/15(月) 01:57:39
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正直、今作は最初の70ページあたりまでは物語自体が退屈に感じられました。読みやすい文体の影響もあり、この話は平坦で思慮の欠けた表面だけの物語なのかなと少し思いましたが、当然そんなことはありませんでしたね。
これは小説の分量の多さに比例すると思いますが、導入部(本文では語り手が「序曲」と称している部分)はまだ読む側も物語に入りきっていないこともあり、こういった感想を抱くのは多々あることだと思います。
物語のあらすじは、コラムストである主人公のもとに、昔親友だった男ファンショーの妻から、数ヶ月前にファンショーが蒸発してしまい、彼が残した小説や詩集をあなたに委ねるということをファンシーが以前言っていて・・・という趣旨の手紙が送られてくることから始まる。
「序曲」の中でファンショーの書いた小説は、まるで王道のサクセスストーリーのように出版・各方面からの高評価という道を歩むのだが、ここにその仲介者を無理やり彼によって担わされた主人公の感情が介入してくることでは一変する。
もともと主人公は幼少時から独特の魅力をもつファンショーに尊敬と裏返しに嫉妬の念を抱いており、ここでもその思いが再燃する。(自分の小説家としての挫折とファンシーの成功)
また、主人公はファンショーの妻と必然的であるかように関係を持つようになるのだが、その関係の中でもファンショーの存在は徐々に邪魔なものになってくるのだが、それは拭いきれない染みのように付着して離れない。
そして、ファンショーの伝記を書くという仕事を任されることになった主人公は、過去にファンショーの辿った道のりを調べあげ、彼を探す出そうと苦心するのだが・・・。
今作の中で特に興味をそそるのは、探す側の「僕」が、探される側の「ファンショー」とどこか一体化してしまうような感覚を覚えるところでしょう。
『幽霊たち』の中でもブルーとブラックは監視という行為を通じて徐々に同一化していくように、観察者と被観察者との距離が曖昧になっていく様を描いていました。
自己と他者の関係を、こういった一見奇怪な関係から見つめるという発想は非常に面白いですね。
しかし、相変わらず謎を謎のまま残すことが、オースターは好きみたいです・・・。その「謎」を明かすことは作品にとって必要ではない、あるいは作中にヒントが隠されているのかもしれませんが、この読後の後味の悪さはカフカのそれを彷彿とさせます。
そうだこれは不条理小説とカテゴライズすることもできるのだろう。
それと、今作は三部作の最終作にあたるためか、他の二作品で聞いたことのある名前がちらほら登場します。オースターにとっては、ニューヨーク三部作は縦の関係にあらず、横の関係にあり、各々が独立で機能しながらも、共有するものを持つ、不思議で不可解で不条理な三作品でした。
これはぜひ読書会などで扱ってみたい作品群です。
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『幽霊たち』
- 2008/09/06(土) 02:30:44
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ニューヨーク三部作の第二作目。
今作の導入部は『シティ・オヴ・グラス』と若干似ているところがありますが、こちらの主人公のブルーは本物の探偵、という設定になっています。
「クィン」とは違い、正式に見張りの依頼をホワイトから受けたブルーは、ブラックという男を監視することになります。向かいのアパートの一室をホワイトに用意され、日夜監視を続けるブルー。
しかし、ホワイトがなぜブラックを見張るように依頼したのか、ブラックは一体何をしようとしているのか、または監視されるような存在であるならばその所以はどこにあるのか・・・。こういった肝心なところがブルー側の視点という障壁によって、読者にもまったく見えてきません。
オースターはこのように謎を謎のまま残しておくのが実に上手いですね・・・。やっぱりカフカの影響もあるのだろうか。
そして、柴田さんの訳者あとがきによれば、今作はもっともオースターらしい、といえる作品であるそうです(このあとがきがまた素晴らしいのは言うまでもないでしょう・・・)。
自己と他者を巡るアイデンティティーの問題、現実と非現実の混在した世界観、事件らしい事件が何も起こらないことを物語として読ませる技量・・・。確かにこれらの要素から見ると、カフカ以外にもベケットにも近いものがあるなと思いました。
それでも、推理小説のような形式を使っているために、今作は「普通のようで普通でない」とでもいえるような奇妙な作品となっているといえます。実際、これならゴトーを待っていた方がまだ幸せなのではないだろうか・・・。
また、『幽霊たち』に関して言えば、登場人物の名前が全員とも色に関する名称がつけられていることが、物語の中の現実感と非現実感をさらに曖昧にしていると思います。
この名付けに関しても、オースターのセンスが光りますね。特にブルーの恋人を「未来のミセス・ブルー」とするあたりなどには、細部への徹底した気遣いが感じられました。これを他の色に当てはめてしまったら不要な色を増やし、作品をさらに灰色(=混沌)にしてしまったというのは言い過ぎでしょうか。
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『シティ・オヴ・グラス』
- 2008/09/05(金) 04:18:27
柴田元幸さんの影響で、とうとう(?)ポール・オースターに手を出してみました。
今後のエントリーの並びは一応三部作の出版された順としますが、自分は 鍵→グラス→幽霊 の順で読みました。三部作といってもこれの場合は時系列が重要なのではないので、訳者の柴田元幸さんも言っているように、順番通りに読む必要性はまったくないといえるでしょう。とはいえ、せっかく三作とも読み終わってから感想を記すなら、順番通りに書いた方がいいかなと思いましたので、このような形式でいきたいと思います。
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この『シティ・オヴ・グラス』は、探偵小説家である主人公クィンが、探偵事務所への間違い電話からある人物の見張りの依頼され、その依頼を実際の探偵のフリをしてクィンが面白半分に受ける・・・というもの。
この筋書きだけを見るとミステリー小説に見えるかもしれませんが、事件らしい事件がおきず、むしろ主人公の方が「事件」となってしまうところに、この小説の面白さと恐怖、あるいは何とも言いがたい深みがあるのだと思います。
それと、今作は他の二作と比べると、コミカルさと知識量の要素が際立っているように感じました。例えばピーター・スティソン親子はそれぞれ別様に狂っていて、どちらも違った面白さがあります。そして、探偵の名前にそれを使うのか!というオースターのセンス。
知識量の関して言えば、親父の方のピーター・スティルソンの論文や思想(言語論)などは難しすぎず、かといって軽薄に過ぎない程度で書かれていて、これもまた興味深い内容となっています。あとはクィンと探偵と間違われた男の間でのドン・キホーテに関する対話。自分は『ドン・キホーテ』は未読で概要を少し知っているだけですが、この二人は出会いそのものが面白く、正直この時になぜこんな会話をしているんだ・・・?という気持ちになりました笑
オースター作品は英語が簡単で綺麗という話を聞いたことがありますが、翻訳された文体も非常に洗練されていて読みやすかったです。しかし、そのせいもあってか、この小説がもつ深さについてなかなか言語化しづらい印象を抱きました。これは単純に自分の力不足なのかもしれませんが・・・。
この『シティ・オブ・グラス』では、探偵小説家が実際に探偵になるとする、自身の小説への投影が描かれています。それは脆くも挫折するわけですが、オースター自身が登場することからも、ここはポイントになるのではないかと思います。つまり、小説家は小説の登場人物になれない、そしてましてや物語の中になんて入れないのだ、と。最終的に赤いノートを手にした人物がこの物語を再現したという終わり方にもメタフィクションのやり口を感じました。
そうした外部からの見方ではなく、小説内部の主人公クィンに焦点を当てると、これは完全に狂った(あるいは狂わされた)一人の不幸な男の顛末としかいいようがないでしょう。
この小説は多くを謎のままの形で残しています。その謎に囲まれ、人生を狂わされた(しかし自ら介入して狂った)男、クィン。彼は妻と子に先立たれ孤独の身であったわけですが、彼にはもともと拠り所となる生活がなかったと言えます。探偵小説家という職業も、本人は大して愛着も情熱も感じていません(むしろ、作中で失望を抱かされることにも・・・)。
そんな彼が飛びついた依頼。かつて息子を虐待した男、ピーター・スティルマンの尾行。しかし、その依頼も結局は、「空虚」なものにすぎず、あげくのはてにクィンは住居を始めとする何もかもを失います。
クィンのアイデンティティーとは、存在とは、いったい何であったのか・・・。
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